※本作はフィクションです。登場する人物やエピソードはすべて作者の妄想によるもので、実在のものとは関係ありません。
第3話「すれ違いと誤解の雨」
湖へのドライブデートから数日。6月の空はどこか不安定で、湿った空気に慎也の心もざわめいていた。
約束の日曜日、ふたりはまたスーパーの駐車場で待ち合わせた。
「今日は僕の運転で行きませんか?」と慎也が提案し、美帆は少し驚いた顔をしたが、「じゃあお願いします」とうれしそうに助手席に乗り込んだ。
行き先は近くのショッピングモール。気になっていたカフェでランチをする計画だ。
車内では、いつものように他愛もない会話が続いた。天気の話、職場であった出来事、最近ハマっているお菓子。
でも、なぜか今日は会話の端々にぎこちなさが残る。
慎也は気づいていた。
美帆がスマホをしきりに気にしていることを。
信号待ちのとき、美帆の膝の上で光るスマホに「元彼」の名が見えた。
ちらりと覗くと「まだ好きだよ」と未読のメッセージが浮かんでいる。
動揺した慎也は、気まずい沈黙を埋めようと無理やり話題を振ったが、美帆もどこか上の空だった。
モールの駐車場に着く頃、空はますます曇ってきた。
「今日は、あまり元気ないですね」と美帆が小さな声で言う。
「いや、そんなことないよ」
「……慎也さん、なんか怒ってます?」
「いや、怒ってないよ。ただ……」
言いかけて、言葉が喉に詰まる。
モールでは、カフェも雑貨屋もどこかよそよそしい雰囲気が続いた。
二人ともお互いに気を遣いすぎて、空回りするばかり。
ランチのパスタは冷め、コーヒーの苦みだけが口に残った。
「美帆さん、何か悩みがあるなら、話してほしいんだ」
席を立とうとしたとき、慎也がぽつりと言った。
「……私、迷惑かけてるよね。最近、元彼がしつこくて」
「別に気にしないけど。まあ……ちょっとだけ、やきもち焼いたかも」
美帆は驚いた顔をして、ふっと笑った。「慎也さんでも、やきもち焼くんだ」
その時、突然の大雨。モールの屋根を叩く音が、静けさを破った。
帰りの車。フロントガラスを伝う雨粒が、車内の空気をさらに重くする。
美帆は黙ったまま窓の外を見つめ、慎也も何を話していいのか分からなかった。
途中、美帆のスマホにまたメッセージが届く。「もうやめて」とだけ返信しているのが見えた。
慎也は思わず「もうその人、無視すればいいじゃないか」ときつめの口調で言ってしまう。
「そう簡単じゃないの。私だって困ってるのに……」
美帆の目に涙が浮かぶ。
「慎也さんには分からないよ」
「……ごめん」
会話はそれきり、車内はワイパーの音だけが響いた。
スーパーの駐車場まで戻ると、雨はさらに強くなっていた。
「ごめんね、今日は……」
「こっちこそ、ごめん。いろいろ言い過ぎた」
美帆は小さくうなずき、傘を差して車を降りた。
慎也はしばらく、その背中を見つめていた。
車内に美帆の忘れ物――小さなハンカチが残されているのに気づく。
そこには、星のワンポイント刺繍があった。
その夜、慎也はベッドに寝転びながら考えていた。
(なんで俺はあんな言い方をしたんだろう。美帆さんは悪くないのに……)
思い切ってLINEを開くが、なかなか言葉が見つからない。
翌日も雨だった。
慎也は美帆に「ハンカチ、預かってるから今度渡すよ」とだけメッセージを送った。
すぐに既読がついたが、返事はなかった。
数日後、スーパーの駐車場で再び偶然出会う。
お互い気まずさを抱えたまま、少しだけ距離を保つ。
「ハンカチ、ありがとう」
「うん。……美帆さん、元気なかったから、心配してた」
「ごめんね、私ばっかり落ち込んでて」
「俺こそ、ごめん。勝手にやきもち焼いて、八つ当たりした」
美帆はしばらく黙っていたが、やがてぽつりと話し始めた。
「本当はね、元彼から『やり直したい』って連絡がしつこくて……でも私は、もう戻る気はないの。だけど、はっきり断るのも怖くて」
慎也は「そっか」とだけ答えた。
その時、駐車場にJAFの作業車が止まった。
大雨のせいでバッテリー上がりの軽自動車がいたらしく、スタッフが「エンジェルナンバーの二人、今日も幸せな日になるといいね!」と明るく声をかけてきた。
美帆がふっと笑い、「やっぱり、私たちって目立つのかな」とつぶやく。
「でも、エンジェルナンバーは無限大の幸運でしょ? きっと雨も、いつか止むよね」
慎也はうなずいた。「うん、きっと晴れる。……俺も、美帆さんのそばにいたいから」
ふたりはゆっくりと向き合い、少しずつ距離を詰めていく。
雨音の中、ぎこちないけれど、ようやく素直な気持ちを言葉にできた。
「私も、もう逃げない。慎也さんといると、前向きになれるから」
「ありがとう。俺も、もっと大事にするよ」
その日、雨はしばらく降り続いたけれど、二人の間にあったすれ違いと誤解は、ゆっくりと溶けていった。
帰り際、慎也が「次の晴れの日、またドライブに行こう」と言うと、美帆は明るくうなずいた。
空はまだ灰色だったけれど、ふたりの心には少しだけ青空が見え始めていた。